区切りも無く、動機も無く、事情も無く――ふと、その時。

俺には『タイパーだった』という過去が出来た。


今までは言葉で終わりを示唆しても
指や肘を故障しても
吐くほど打って成果が出なくても
それでも、結局は打鍵ちに戻っていた。


息を吸うよりも数多く打鍵って
言葉を交わすよりも数多く打鍵って
何かをしている時でさえ、数秒の余暇があれば打鍵って
そもそも打鍵っていない時のほうが珍しいくらいだった。


この数年、自らが何かに成れていたのだとしたら、それはタイパー
確固たる証拠は言葉に出来るものではなかったけれど、きっと魂の様な何かが存在していた。


本当に過去になってしまったのだと、気付いた理由は単純で
自らをタイパーたらしめていた部分を削らなければ、内に入れられない物が来て
それがあまりにも大きな物だったから、タイパーたらしめている部分がまるごと上書きされてしまって
技術は残れど、魂の様な何かはもう何処かへ消えてしまった。


終わらせる為に区切りを作った訳では無く
終わらせる為の動機があった訳でも無く
終わらなくてはならない事情があった訳ですら無く


終わりすら迎えずに、別の世界が始まってしまった。


そうして、やっと俺はタイパーでは無くなってしまった事に気付く。
自覚した時、俺に『タイパーだった』という過去が出来た。
ほんの数日前の事だった。




と、詩的に〆てみる。
終わらないけど。
いちいち隠居だとか言葉を作らなくても
気付くと既にタイパーでは無くなっていた、という。
譲れない部分を、別に譲っても良くなった、みたいな。
何があったという訳ではないからこそ、ああもう本当に過去の事なんだな、と。


明確な違いといえば、今はもうタイピングで数秒早い記録を出す為に
「この指どころか腕が一生動かなくなっても良いから」
なんて気持ちは絶対に沸かなくなってしまった事だろう。
それどころか「タイピングで指が疲れるとか勿体無い」なんて感じになってしまっている。
絶望と称して草を刈り取るよりも、希望という名の種を植えたほうが
結果として、それ以前に生えていた草を刈り取るよりも芽の復活を妨げられる。
そんな、自分語りでした。